アウトプットノート

物語、本、歌詞、表現を中心とした頭の中のメモノート。

六龍が飛ぶ 48話まで観ました。

 イ・ソンゲが王位についた48話を区切りに、少し前の話を振り返ってみます。今回は主に「海東甲族」と「無名」についてです。少しばかりお付き合いください(^^)

 疑問①海東甲族はなぜ500年の歴史の中で政治の犠牲にならなかったのか。

 海東甲族は、政治には口出しせず平和に暮らしてきた有力な貴族集団でしたが、ミン・ジェの娘タギョンとバンウォンの政略結婚によって、新たな歴史が開かれました。

 しかし、海東甲族がそんなに力を持っているのなら、ホン・インバンバンウォンが目を付ける前に、無理やり政界に引き込まれていてもおかしくないのでは?と思っていました。

 そこで、私のドラマメモを見直してみると「17話、六山先生…海東甲族の長」と書かれているではありませんか。

 六山先生の名が初めて登場するのは17話ですが、その時繰り返し名前が登場するのです。ミン・ジェの「六山先生のような洞察力はありません。」「うちの娘は六山先生より鋭いな」やチョンニョンの「六山は海東甲族の首長ですね」などです。

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 当時は六山先生って尊敬されている海東甲族の長なのね、ぐらいにしか思っていませんでしたが、海東甲族の長である六山は、国を操る組織「無名」の一員だったことが分かりました。当然「無名」のチョンニョンも知らない振りをしているということですよね。もしかすると六山だけでなく、代々東海甲族には「無名」がいたかもしれません。だから守られていたのだとすると納得がいきます。

 海東甲族は、バンウォンに「胸を痛めても行動しない歴史の傍観者」であることを責められましたが、私も含め多くの人間は海東甲族の生き方なのではないでしょうか。「六龍が飛ぶ」は、いたる所で視聴者に揺さぶりをかけてくるドラマだと思いながらいつも省察的に観てたりもします。

疑問②無名の思想

 では「無名」の存在意義とは何なのか。もちろんドラマで語られていることを今更私が書いても無意味なので省きますが、改めて視聴者である私が「無名」を考えた時、まるで現代社会の在り方を具現化したような組織だなと感じました。

 「人々は欲望のままに躍起になって荒れ地を開拓しました。その結果、農地は飛躍的に増え、国は豊かになったのです。」「人間は利益を追い求めるため、苦痛にも耐えるもの」このような主張は一理あると言えるでしょう。

 普段の私たちも大なり小なり欲望に負けて生きていますよね…。最初は得体のしれない組織だと思っていましたが、多くの視聴者が海東甲族の立場である現実のように、無名もまた私たちと無関係ではないところが脚本の憎いところです。

 そして無名の長ヨニャンは、言葉とは裏腹に母としての立場を捨てきれていないようなので、これから無名はどういう結末を迎えるのか気になります。

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