アウトプットノート

物語、本、歌詞、表現を中心とした頭の中のメモノート。

「六龍が飛ぶ」(1~10)

 先日「六竜が飛ぶ」を1話~10話まで視聴しました。高麗後期を描いた長編時代劇です。ここでは、3人の人物に焦点を当てて見どころを紹介したいと思います。

 ①イソンゲにとっての戦

「これが戦だ。どう言い繕っても戦とは人を殺めることなのだ。」

(第1話:父イ・ソンゲと息子バンウォンの会話)

 バンウォンはこの時初めて真近で人が切られる所を見たのでしょう。

 この後様々な人物によってイ・ソンゲの戦論が述べられますが、イ・ソンゲ自身が直接的に「戦」の定義を語るのは、1~10話においてはこの時のみでした。

 視聴者としてこのセリフを聞いた時、この物語においてイ・ソンゲは信頼できる人物だと確信しました。

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②チョンドジョンの思惑

 私が一番感動したのは第3話。チョンドジョンの「長平門での叫び」の場面です。

「戦は権力ある者が決めてはならぬ。死ぬのは貧しき民だからだ!戦は年老いた者が決めてはならぬ。死ぬのは若き者だからだ!」

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 「誰の耳にも私の声は届かない。舞台がほしい。私の言葉を伝えられる舞台が!」

 チョンドジョンの想いがついに実現した時、その魂の叫びは群衆たちを動かします。この場面は言葉にしがたい普遍的な感動と悔しさが胸を締め付ける名場面でした。

③ホン・インバンの葛藤

 「つまり”仁”の心とは、生きて万物と通ずることだ。生に対する気迫なのだ。抑圧されるほど生きて動け!よいな!!」

 そう儒生たちに言い残し、連行された時のホン・インバンの眼の輝きは忘れられません。

  「私も己を知らなかった。苦境に陥った時の自分を。善か悪かなどどうでもいい…」

 「大義も義理も正義も、要らぬ」

 連行先で受けた拷問をきかっけに変わり果てた彼は、いわゆる「正義」とは対極の位置にいます。それでも私は彼を責める気になれません。彼の葛藤はセリフの端々に現れ視聴者を揺さぶるからです。

 バンウォンに対し「お前はどんなに苦しめられても耐え抜く男だが、無力な自分には耐えられん」と言います。皮肉のつもりでしょうが、裏を返せばホン・インバン自身も無力な自分に耐えられなかった。だから、力を手にしたかったのでしょう。

 「お前の人生は長平門で一瞬輝いたのみ。」

 チョンドジョンに向かって放ったこの一言の意味も大きい。一瞬でも輝いていたと認めているのです。そしてそれは、ドジョンに加担したあの時の自分の姿も決して忘れてはいないということ。7年も前のことを記憶にずっと留めていることが、自分を許せない何よりの証拠と言えるのではないでしょうか。

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ホン・インバンがこれからどう動くかも注目です。

 

〇1~10話のまとめ

 主人公が父を通して「本当の強さ」について考えていく裏で、様々な人の人生が複雑に交差する立体的な話となっています。

「生きること」とは何なのでしょうか、「国」とは一体…

 簡単に答えなど出せない問題を、私も彼らと一緒に背負いながら今後も見ていきたいと思います。