ドラマの魅力

韓国時代劇をはじめとするお気に入りのドラマについて、感じたことを書いてます。

嫉妬の化身のキャラの秘密

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韓国HPで確認すると物語の冒頭で登場するあの宇宙人たちには、ちゃんと固有の名前と性格が設定されているようでした。韓国語読めないのでGoogle翻訳の写真スキャナーに頼って翻訳を試みました。間違っていたらごめんなさい🙏

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OKKI

好奇心が多く、不注意で常に事故を起こす。

大事なことを失敗しても、いつも周囲がまとめてくれる。

→ピョナリ


KAO

リーダー意識が強い。

常に知識欲があり、正義でいたいと思っているほど責任感がある。

イ・ファシン


ROO

言葉が少ない。いつも修練をしている。

心をよく表現できないが、誰よりも勝負欲を抱いている。

ジョンウォン


MO

女性ながら力が最も強い。

普段は柔らかいが怒ると恐ろしい。

ホンアナウンサー


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登場人物のイメージキャラなんですね(笑)

私はやっぱりファシンのKAOが1番好きかな😌

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児童文学『宝島』の読み比べ

ジョンバーニンガムの『なみにきをつけて、シャーリー』は、スティーブンソンの『宝島』の影響を強く受けているように思われます。日本でも実に色んな人の手によって訳されているようですが、今回は金原瑞人、海保眞夫、坂井晴彦、この三人の訳の違いに注目してみました。それぞれの解釈が露になっていてとても面白かったです。金原さんの訳が個人的に一番読みやすかった為、自分のレポートで使う参考文献は金原さんの『宝島』を選びました。

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(以下より金原訳を①、海保訳を②、坂井訳を③で記載します)



◇読者にむけられた謝辞の違い


①買おうかどうか迷っているきみに


②お買いになるのをためらっている読者に


③買おうか買うまいかと迷っている人に


ちなみにブログ主は、「ためらっている」という語句を入れた②の書きぶりに最も惹かれました。



◇アメリカの紳士ロイド・オズボーンへ向けて

①古い物語が好きなきみに語っているうちに、こんな物語ができてしまいました。


②なし


③きみの高尚な趣味に合わせて、この物語は書かれましたが、


②で訳されなかったのはどうしてでしょう。

③の「古い物語が好き」=「高尚な趣味」という訳者の解釈の色が強く出ているのも面白いですね。



◇最後に、冒頭部の違いについて

①地主のトリローニさんからも、医者のリブジー先生からも、ほかのみんなからも、書け書けとせっつかれてきた。あの宝島のことを最初から最後まで、こまかく書けというのだ。


②郷土のトリローニさん、医師のリブジー先生をはじめとする人々から、宝島をめぐるわたしたちの冒険を最初から終わりまでくわしく書いてはどうかとすすめられた。


③地主のトリローニさんや、医者のリブジー先生をはじめ、そのほかのかたがたから、あの宝島についての話を、はじめからおわりまで一つ残らず書きとめておくように、ただし、島の位置だけは、まだ掘り出してない宝っもあることだから、伏せておくようにといわれたので、


「せっつかれた」「すすめられた」「いわれた」ではニュアンスが大きく異なります。

本文比較はできませんでしたが、最初の数ページと冒頭だけでもこんなに違いが見られるんですね。

寄り道して力尽きる前に、レポートがんばってきます。

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ヒーラー15話 キム・ムンホ

 

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「当時、新聞やテレビで報道されなかった事件を彼らはラジオ放送で報道しリスナーたちは録音して人々に伝えました。(中略)
殺人事件が起こりました。しかし報道されることはありませんでした。」

 

「この世には悔しい死を遂げても報道されない人がたくさんいます。全員は無理だとしても、1人でも多くの話を聞いてあげたかった。私たちはあなたを忘れません。これを伝えるために今日の放送をしました。」

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 「報道もされずにひっそりと死んでゆく人たちが殆どである」という事実と、言論統制された社会で選び取られた情報を日々与えられ、そのことに無自覚に生きる多くの人々に、警鐘を鳴らしたキム・ムンホ。ヒーラー15話も「これを伝えるため」に放送しているように感じた。

 

頭の整理

 ドラマを見ていてふと思いついた、架空の話をします。なので、以下に書かれている内容自体は、フィクションです。特定の人物を指しているわけではありません。

↓↓↓

 日本人俳優のAは、本社がアメリカのファーストフード店「D」のCM依頼を断った俳優Bのことを称賛した。するとアメリカ人は"AとBは反米だ"と叩いた。...実はBがCMを断った真の理由は、ベジタリアンの思想に反するからだったのだが、ファーストフード店「D」をはじめ、多くの食品関連の企業の圧力を考えると当然それは発言できなかった。
 記事にはBがCMを断ったこと、それをAが称賛したという事実しか載っていない。その記事から"反米の日本人"と受け取るかどうかはアメリカ人次第。
 情報網がいくら発展しても、真意は本人に聞くことでしか知り得ないだろう。また特に海外の記事は、内容以上の意図が付け加えられて輸入される。
 AとBの発言全てがアメリカで報道されているわけではないのに、なぜこのCMの話は選択され、海を越えたのか。

P.S.
 その後彼らは、真の理由が伝えられないなら、せめて反米でないことをアピールしようと、時々プライベートで渡米したらしい。

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六龍が飛ぶ 48話まで観ました。

 イ・ソンゲが王位についた48話を区切りに、少し前の話を振り返ってみます。今回は主に「海東甲族」と「無名」についてです。少しばかりお付き合いください(^^)

 疑問①海東甲族はなぜ500年の歴史の中で政治の犠牲にならなかったのか。

 海東甲族は、政治には口出しせず平和に暮らしてきた有力な貴族集団でしたが、ミン・ジェの娘タギョンとバンウォンの政略結婚によって、新たな歴史が開かれました。

 しかし、海東甲族がそんなに力を持っているのなら、ホン・インバンバンウォンが目を付ける前に、無理やり政界に引き込まれていてもおかしくないのでは?と思っていました。

 そこで、私のドラマメモを見直してみると「17話、六山先生…海東甲族の長」と書かれているではありませんか。

 六山先生の名が初めて登場するのは17話ですが、その時繰り返し名前が登場するのです。ミン・ジェの「六山先生のような洞察力はありません。」「うちの娘は六山先生より鋭いな」やチョンニョンの「六山は海東甲族の首長ですね」などです。

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 当時は六山先生って尊敬されている海東甲族の長なのね、ぐらいにしか思っていませんでしたが、海東甲族の長である六山は、国を操る組織「無名」の一員だったことが分かりました。当然「無名」のチョンニョンも知らない振りをしているということですよね。もしかすると六山だけでなく、代々東海甲族には「無名」がいたかもしれません。だから守られていたのだとすると納得がいきます。

 海東甲族は、バンウォンに「胸を痛めても行動しない歴史の傍観者」であることを責められましたが、私も含め多くの人間は海東甲族の生き方なのではないでしょうか。「六龍が飛ぶ」は、いたる所で視聴者に揺さぶりをかけてくるドラマだと思いながらいつも省察的に観てたりもします。

疑問②無名の思想

 では「無名」の存在意義とは何なのか。もちろんドラマで語られていることを今更私が書いても無意味なので省きますが、改めて視聴者である私が「無名」を考えた時、まるで現代社会の在り方を具現化したような組織だなと感じました。

 「人々は欲望のままに躍起になって荒れ地を開拓しました。その結果、農地は飛躍的に増え、国は豊かになったのです。」「人間は利益を追い求めるため、苦痛にも耐えるもの」このような主張は一理あると言えるでしょう。

 普段の私たちも大なり小なり欲望に負けて生きていますよね…。最初は得体のしれない組織だと思っていましたが、多くの視聴者が海東甲族の立場である現実のように、無名もまた私たちと無関係ではないところが脚本の憎いところです。

 そして無名の長ヨニャンは、言葉とは裏腹に母としての立場を捨てきれていないようなので、これから無名はどういう結末を迎えるのか気になります。

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『冬のソナタ』~象徴性について考える~

〇おすすめ本

 今回皆さんにおすすめしたい一冊は、『『冬のソナタ』に見られる「社会」と「個」の相克 登場人物の役割を中心に』です。この本は2013年、冬のソナタから10年という節目の年に出されました。『冬のソナタ』を見た人が楽しめるのはもちろんのこと、一般的な物語分析にも使える知識が沢山詰まっています。この本はタイトルの通り、冬のソナタという物語は「社会」と「個」という対立構造を軸に出来ているという主張を基に進められています。その主張の一環で語られるポラリス」と「車」の象徴性や最終回の季節が「冬」でない理由など、興味深い考察が盛りだくさんの一冊でした。以下より、その二つの考察を中心に(私の解釈も入れながら)紹介していきます。 

・「ポラリス」と「車」

 『冬のソナタ』では、チュンサン(男)、ユジン(女)、サンヒョク(男)、チェリン(女)が主要人物で、結末から言うとチュンサンとユジンが結ばれるドラマです。

 何気なく見ていると気にならないことですが、ユジンは主要4人の登場人物の中で「車」を持っていない唯一の人物です。他の3人は運転シーンが頻繁に描かれるのですが、彼女の場合、移動手段が車で送ってもらうか、バスなどの交通機関を利用するまたは自分の足で歩くしかないのです。ユジンが仕方なくタクシーを拾って帰宅するシーンも何回かありましたね。ユジンは、交通機関で決まった道(学校や職場)を往復する生活で、自分の車で遠くまで移動できないのです。だからこそユジンは人から見つけられやすい目印的存在=ポラリス北極星なのかもしれません。ユジンは自分の設計会社を「ポラリス」と名付けます。ポラリス北極星)は道に迷ったとき目印になる星です。ユジンが「車」を持たないという設定が意図的であると仮定すると、ポラリス同様「不動」のイメージを作り上げているのかもしれません。

 ちなみに、チュンサンがユジンにあげたポラリスのネックレスは、ユジンの意志とは関係の無いところで壊れたり、最終的にはチュンサンによって海に投げ込まれたりとサンヒョクがあげた婚約指輪のような絶対的で確かな物ではありませんでした。このことは、最後に二人をつなぐのは「物質」ではなく目に見えない「心」であったと考えることもできるのではないでしょうか。 

・最終回の季節

 冬のソナタでは、冬らしく「雪」が重要な役割をしています。初恋のモチーフであることはもちろん、このドラマにおける「雪」には「現実を覆い隠す」働きがあると著者は言います。例えば、スキー場は2人にとって現実逃避の場所でもあったからです。

 ではなぜ、最終回の季節が冬ではないのでしょうか。これまで視聴者にとって「雪」は、二人の関係に外せない象徴的なものだったはずです。最終回では二人の間に雪はありません。現実を覆い隠す「雪」の存在の必要性がなくなった、つまり二人の永遠性が現実のものとなったことを表しており、だから最終回はあえて雪の降らない季節を選んだのではないでしょうか。最終場面では、「雪」もなければ、「ポラリスのネックレス」もありません。そこにあるのは目に見えない二人の「心」だけ…。

 失明したチュンサンが気配でユジンに気付き再会を果たしたところで物語は閉じられます。最近の現代ドラマでここまで「切ないハッピーエンド」も中々無いのではないかと思っています。

 この春は、同監督の四季シリーズ『春のワルツ』も見ていくつもりです。この作品にも『冬のソナタ』のような繊細な音楽や、水彩画のような美しい情景描写があることを期待しています。

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追立祐嗣(2013)『『冬のソナタ』に見られる「社会」と「個」の相克 登場人物の役割を中心に』花伝社

*太字は個人的な解釈です。

正祖と芸術

 教授に卒論指導を受けていた時のこと。教授は「文学に限らず一見無駄に思えるものを排除してきた国に未来はないということは、歴史が語っているからね」と仰った。

 昨今の大学改革で文学部の廃部が推し進められる日本ですが、世界的に見ても文学研究が疎かにされるさんてことはほとんどないわけです。文学も歴史なのですから。

 世から一見無駄だと思われることが実は世の中を作っているという事実は、朝鮮の身分制度の過渡期について見ていくことで感じることができると思います。

○朝鮮後期の身分制度

 両班といえば、勢道政治。しかし反対に老論の長期政権により政権から退かれた両班たちは、自ら農作業を行うなど威厳を落とすことになりました。

 身分制度と言語能力の結びつきは言うまでもありません。庶民の意識の向上は、ハングルの普及が大きく関係しています。当然それに伴って庶民の知的水準は高まり、庶民文化も発達するようになりました。

 中人層(特殊な技術をもった下級役人)の成長も身分制度に大きな変化をもたらします。通訳官たちは清との接近を機に見聞を広め、医官や画員は専門的見識で、その他の役人は行政的能力や文学的素養で社会的地位を高めようとしました。

 絵や書などの芸術文化が特に開花したのは、正祖時代と言われています。士(ソンビ:学識や礼節のある人物の総称)の間では絵や書に関心があっても、そういう素振りを見せないことが美徳とされたようです。王室では世宗、英祖、正祖などが絵を愛でたとされており、その中でも歴代の王で一番多くの絵を残したのは正祖なのです。彼は自ら筆をとり絵や書の魅力を語ったと言います。

図1 梅花図

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図2 手紙

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  図1の「梅花図」という作品は正祖が47歳の時に書いたと推定されています。イビョンフン監督の「イ・サン」でも梅の花の絵は度々登場しますよね。図2の手紙は、正祖(8歳頃)が外叔母宛にハングルで書いたものと言われています。この時代に才能を発揮した画員はたくさんいるそうで、それは中人全体にとっても大きなことでした。

 奴婢も常民も中人も教養を身に着けたものは身分を詐称して生き延び、やがて奴婢の人口は少なくなりました。こうして1801年、ついに奴婢の解放令が出ます。正祖が亡くなって一年後のことでした。

  数多くの改革を行ってきた正祖が芸術をどのようにとらえ必要と感じていたのか、あるいは必要か否かだけで判断することに疑念を抱いていたのかもしれませんね。

  次回、ハングルを創制した4代・世宗と諡(おくりな)について考察します。

〇参考文献

・『自分はバカかもしれないと思ったときに読む本』

・『朝鮮王朝500年の舞台裏』(「王の名前を見れば臣下の思惑が分かる」より)

・『韓国の入門歴史 国定韓国中学校国史教科書』

・『韓国ドラマで学ぶ 韓国の歴史』

・『ソウル歴史めぐりは「イ・サン』巡りの旅』

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